2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

2009年大晦日

今年も今日で終わり。昼前から降り始めた雪が周りの景色を白くしました。年の初めは白いキャンバスで始まります。 来年はどんな絵を描こうか考えています。来年もいい年にしたいです。 下の写真は、孝霊山方面を撮影した写真です。朝方撮影しました。 雪が降…

今年の1年を振り返って、大山で発見したことを三つ

明日、12月31日から1月1日にかけて、寒気団が押し寄せ、大荒れの気象予報が出ています。 今年の1年間を振り返って、大山で発見したことを三つ上げてみます。 1.烏ヶ山(からすがせん)は、をいつも見ていることがわかりました (2010.1.18…

高田原(たかたばら)建物跡遺跡から見た大山

家の近くに大山町指定文化財、「高田原建物跡」遺跡があります。高田原は、この辺りの地名です。若い頃には興味がなかったのですが、年を経たせいか古い時代、大きな山、岩、木など自然信仰が盛んだった頃の時代に興味を持つようになりました。 説明板による…

熊野古道・・・・ウラジロ/コシダ

去年の11月下旬、和歌山県田辺市で開催されたボランティアガイド全国大会に参加し、熊野古道の一部を体験ウオークしました。約2時間半、伏拝王子(ふしおがみおうじ)〜熊野本宮大社まで約4km歩きました。古くは後鳥羽上皇が何十回も通られ、多くの熊…

正月の門松と注連飾り

2009年12月27日、今日は穏やかな天気だったので、正月の門松の材料と、注連飾りのウラジロを山に取りに行きました。 門松には、高さ1mほどのクロマツの小枝、カシの木の小枝、ササを縄でからんで立てます。 注連飾りに使う今年のウラジロは、雪も…

ロウバイ

撮影2009年12月25日、山際の畑の端に植えてあるロウバイ(蠟梅)の花が咲いていました。 花びらが半透明で、つやがあり、蠟に似ていることから名前が付きました。甘い、いい香りがします。 ロウバイは、ロウバイ科。ウメ(梅)は、バラ科の植物です。

大神山神社奥宮・後向き門(3)・・・・・通常の取り付け方だと格好が悪い

門の扉が逆向きに取り付られている理由。私の結論は、(1)「通常の取り付け方にすると格好が悪い」からだと思っています。もう一つ、(2)「門に付いている扉はもともと今のように付いていた。あるいは、西楽院にあった門に取り付けられていた扉ではなく…

大神山神社奥宮・後向き門(2)

後向き(あとむき)門は、2009年9月29日と、8月10日の日記にも書いています。 門の閂がどうして、神社外側に来るように扉が取り付けられたのかその理由は何かということです。 この写真は、9月29日の日記に載せたものです。この扉も、去年屋根…

日記の記事検索/写真の一覧

日記に書いた記事をもう一度見たい。どんなことを書いたか調べたい時に使います。自分では日記の見出しにサブタイトルの意味を込めて書いているのですが見出しに総てを書けません。 (1)記事の一覧を見る この日記の上、アジサイの上にある「記事一覧」を…

今日は冬至

2009年12月22日、今日は冬至。米子の日の出、日の入り時刻は、7:13と、16:58。昼間の長さは、9時間45分。 冬至、秋分の日、夏至の日の出、日の入り時刻、昼間の長さ、昼間の長さの増減を比較して見ました。 冬至 12月22日 7:13 …

大山寺絵図(4)・・・・カラスガ山・三鈷○峰

大山寺絵図(4)。絵図では、現在見ている大山の、山や峰の呼び方が違っています。 下の写真には、絵図に書かれている文字を、米子市立山陰歴史館の絵図から読み、書き加えてあります。○は読み取れない文字です。 大智明大権現(現在の大神山神社)のある山…

大山寺絵図(3)・・・・・伯●(刀の下に刀の文字二つ)角磐山大山寺と伯州角磐山大山寺

昨日、おとといと大山寺絵図について書いています。この絵は、大山自然歴史館の1F展示室を奥に入って振り返ったところに、4m×2.5mくらいの大きなパネルで「大山を仰ぐ」として展示され、大山寺の成立と歴史を説明しています。 絵図が米子市立山陰歴…

大山寺古絵図(2)・・・・・鳥居

昨日の伯州角磐山大山寺絵図、絵図が描かれたのは寛政9年(1797)。この絵図の鳥居について補足。 写真のほぼ中央、博労座の端参道に鳥居が描かれています。これが銅製の鳥居。製作は、天明2年(1782)。現在の参道の宮本旅館の脇にあったと聞いて…

大山寺古絵図・・・・・・片山楊谷・寛政9年(1797)9月下旬作

「ブラタモリ」という、東京周辺を歩き、古地図と対比し、CGを使って昔を再現させたりしながら、新しい発見をさせるテレビ番組があります。毎週木曜日NHK総合午後10:00から45分間。東京は特に、その地面の下にいろんなものが積み重なっていると…

初雪・・・・・・大山スキー場開きは12月23日です

2009年12月17日、朝起きて見ると屋根の軒先寄りの瓦が白い雪で隠れていました。今年の冬の初雪です。昼には融けてしまいました。実は、昨日みぞれが降ったようなのです。ここ3日ほど寒い日が続き、あと4日ほど続くようです。大山のスキー場開きは…

豪円さん(3)・・・・・・豪円さん没後の大山寺

豪円さんは、慶長16年(1611)6月5日、76才でなくなりました。その後、比叡山から「学頭」が任命され、「大山座主(だいせんざす)」として、西楽院を本坊として政務をとりました。初代学頭 豪円(ごうえん)から、久運(きゅううん)、天海(てん…

豪円さん(2)・・・・・・・年表を作ってみました

大山寺、金山寺、比叡山を復興させた豪円さん。すごい人です。 写真は、坊領、中津尾家にある、豪円堂。 豪円さんに関係のある事柄を抜き出して、年表を作ってみました。 (参考文献:大山寺の名僧 発行:角磐山大山寺 発行日:平成19年10月22日) 1…

豪円さん(1)・・・・・来年は没後400年

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の生きていた時代、焼き払われ、荒れた大山寺を復興し、大山中興の祖と言われている僧、豪円さんは、慶長16年(1611)6月5日、76才で、備前岡山にある天台宗の寺、金山寺(きんざんじ)にてなくなります。この金山寺…

どこに出してもはずかしくない大山寺の仏像(3)・・・・鉄製厨子 (2)

大山寺宝物館、霊宝閣に展示してある、鉄製厨子(てつせいずし)について、補足します。厨子は、仏像ではありませんが、大山寺の歴史にとって貴重なものだと説明を受けました。6月21日の日記の一部を転記します。 「2009年5月24日、大山町教育委員…

どこに出してもはずかしくない大山寺の仏像(3)・・・・鉄製厨子

前の年に焼失した大山寺本尊の代わりに、承安2年(1172)、会見ごうりの豪族、紀成盛(きのなりもり)が地蔵菩薩を寄進した際の厨子が、霊宝閣にあります。昨日、和鋼博物館の年表に、「日本最古の製作年代がわかる鉄鋳物」と書いてあるのを見て、今年…

安来和鋼博物館・・・・たたら製鉄・・・・・玉鋼(たまはがね)・・・・日本刀・・・・鉄製厨子

安来駅まで行く機会があり、近くの和鋼博物館に行きました。たたら製鉄について展示解説している博物館です。 案内パンフレットによると、「中国山地は良質の砂鉄と豊かな森林資源に恵まれ、古くからたたら製鉄が盛んな地帯でした。江戸時代の後半には国内総…

鳥取県の学校の校歌には大山が歌われています

大山について書かれているブログで、興味を引くものがありました。鳥取県の学校の校歌に、「大山」が歌われているものを紹介していました。 そのブログは、自然公園財団ホームページから見ることが出来ます。この日記の右側の、リンク集にあります。「自然公…

妻木晩田遺跡と孝霊山

初冬のこもれびに映える里山の紅葉がきれいです。国道9号線、今津から妻木川(むきがわ)に沿って少し上がった辺りからほぼ南を見ていることになります。 手前の紅葉している低い山が、妻木晩田山、妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)です。今から1700年…

大山牛馬市と大山寺収入

大山牛馬市で取引された牛馬は、大山山麓で飼育されていました。牛馬市には、牛馬が大山博労座近隣に集められたため、牛のえさになる草の供給や、牛馬を連れてきた人たちや売買の仲立ちを行う博労たちを泊める宿などの収入が、地元の人たちの経済を支えてい…

大山牛馬市と大山道

大山道は、地蔵信仰の大山まいりを経て牛馬市の道として多くの人、牛、馬たちが通った道です。遠方から何日もかかって山道を歩いて大山まいりした中世、食料を牛馬の背中に乗せた人たちでにぎわいました。享保15年(1730)頃、大山寺の山奉行吉川右平…

大山牛馬市と基好上人

私が小さい頃、牛や馬を飼っていました。牛は肥育と繁殖の和牛、牛を運動させるため、毎日牛に付いて歩くことが私の役目でした。昭和35年ごろは、一時乳牛に代わりましたが、しばらくして繁殖の和牛に戻りました。馬は農耕馬で雄でした。 大山寺の牛馬の守…