大神山神社奥宮・後向き門(2)

後向き(あとむき)門は、2009年9月29日と、8月10日の日記にも書いています。
門の閂がどうして、神社外側に来るように扉が取り付けられたのかその理由は何かということです。

この写真は、9月29日の日記に載せたものです。この扉も、去年屋根の修理と同時に修理されました。写真の右側が、神社の外側になります。扉を閉めると閂は神社の外側に来ます。
いろんな説があります。
1.そのまま移転した説 
明治8年の神仏分離政策による大山寺号の廃絶があり、伯耆大山寺から大神山神社へと名称が変えられました。今の奥宮(大智明権現社)と現在の下山神社(下山社)が神社名義として残り、西楽院は廃寺になりました。このとき、西楽院の門が、奥宮の門としてそのまま移転したので、後向きとなったと言われています。
2.冬に門を閉めて山を下りた説
大神山神社は、冬宮(尾高の大神山本社)と、夏宮(=奥宮)(大山の大神山神社)とからなり、夏宮は、冬にはお参りしなかった。(雪でお参りできなかった。)下の宮へおりるときに閉め、春になって開けて入山した。下の宮から見れば、下の宮が神社の内側になるため、扉の閂は内側に来るので、実際は逆さではないと言うのです。
3.遺恨説
神仏分離政策により、寺を取り壊され、怒った人たちが、わざと逆に付けた。
4.扉の付け方を間違えた説
以上4説の中で、私の友人は、2の説が、話としてきれいなので、これがいいといっています。
なお、7月28日の日記に、大神山神社本社について書いています。