大山寺絵図(3)・・・・・伯●(刀の下に刀の文字二つ)角磐山大山寺と伯州角磐山大山寺


昨日、おとといと大山寺絵図について書いています。この絵は、大山自然歴史館の1F展示室を奥に入って振り返ったところに、4m×2.5mくらいの大きなパネルで「大山を仰ぐ」として展示され、大山寺の成立と歴史を説明しています。
絵図が米子市立山陰歴史館にあると聞き、見せてもらいました。この絵図の実際の大きさは、横134cm縦101cmです。絵図は折りたたまれ、はがきを一回り大きくしたくらいの大きさでした。広げると、全体が黒っぽく、赤い紅葉のような木は描かれておらず、よく目にするものとは違っています。米子市立山陰歴史館の方の話では、館長さんが譲り受けられたもので、もう一つ絵柄がそっくり同じものが、鳥取、一行寺にあると聞きました。前代住職が発見されたそうです。絵の間違い捜しのように、どこが違うか見ていますがそっくりです。何度か見ているうちに、豪円山途中にある世代墓に書かれている文字が違うことに気がつきました。寂靜山の文字を書くところは四角く枠取りされているのですが、文字が書かれていません。米子市立山陰歴史館のものは完成度が低く、模写されたもののようです。昨日、決定的な違いを見つけました。普通見る、赤っぽい絵図、大山自然歴史館パネル絵図には、絵図の右上部分に、「伯●(州に相当する文字 刀の下に刀の字が二つ)角磐山大山寺」。米子市立山陰歴史館の絵図には、「伯州角磐山大山寺」と書いてあります。
模写の目的は?模写のトレーニングだったのか?文字の書かれていないところや、絵柄が違うのは絵図完成の途中だったのか?伯州の文字の違いは?どうなんでしょうか。
●(刀の下に刀二つの文字)は、パソコンのIMEパッドでは「リ」と読むと出てきますが、日記の文字には出せません。私の持っている漢字辞書やインターネットの辞書にも出てきません。どんな意味なんでしょうか。
下は、絵図に書かれている、残りの文字の部分です。