阿弥陀川という名前の起源・・・・・・大山の民話より

昨日は、6月22日以来、7日ぶりに雨が降り、今日は曇り。
三角とんがりの三鈷峰(さんこほう)の北西斜面下に剣谷があります。ここを源流とする阿弥陀川は、15km下って日本海に流れこんでいます。私の小さい頃、家の近くの阿弥陀川には、木で作った橋げたと、木の橋の上に土を盛った橋がかかっていました。この橋が毎年、秋の台風シーズンには大水で流れてしまった記憶があります。今から50年くらい前のことです。


 「大山の民話」 立花書院 発行の 「西明院谷の龍鐘(りゅうがね)」の項に、阿弥陀川の名前の起源が、言い伝えとして書かれています。
「昔、阿弥陀川が海に注ぐあたりに、夜になると怪しく光る物があった。漁師たちが網を作ってその怪しい光を引き上げてみると、とても立派な釣鐘が現れて、釣鐘の中に小さな阿弥陀如来の古仏がはいっていた。釣鐘と、仏像を大山寺に奉納した。大山寺の僧たちは、大きな丈六の木造阿弥陀如来座像をつくり、釣鐘の中に入っていた古仏を首の裏(胎内仏)に納めて常行堂に安置した。いつしか、仏像の見つかった川を阿弥陀川、鐘の名を龍鐘(現在は大山寺霊宝閣の入り口を入って正面にあります)と呼ぶようになった。」


 ここで気になるのが、どうして大山町を流れている川であったかということです。
大山から流れ出す川は、西から、日野川、元谷を源流とする佐陀川、野田ヶ山、矢筈ヶ山、甲ヶ山(かぶとがせん)を源流とする甲川(きのえがわ)があります。この中で、三角とんがりの三鈷峰という山の下を源流とするということが決め手になっていたのではないかと考えています。阿弥陀滝も源流近くにあります。大昔の人は、山や、滝で修行していたのでしょう。

写真では、大山参道ギャラリー前の参道から三鈷峰が正面に見えています。