下山神社(3)・・・・・・・祠から下山善神へ・・・・そしてその後

昨日(2010.1.4)の続き。
祠を下山善神と呼ぶようになったのは、神様のおかげが現れ始め、一日一日と人々の信仰が盛んになってきたからです。
文和二年(1353)狐が人に乗り移り、人の夢の中で言いました。「この下山善神を大智明権現の北に移せ。そうすれば私の本当の姿をみることができる」と。
坊さんたちは相談して、大智明権現の北を掘り起こすと、お告げのとおりに、小さな金製の十一面観音像が出てきました。
山善神の祠を大地明権現の北に移し、観音像をまつるとますます人々の信仰を集めるようになりました。
「大山雑記」には、その後、いろんな武将が難題に遭遇すると白狐が現れて救ってくれる話が載っています。亀井家の庇護を受け下山神社は成長していきます。
大山雑記が書かれたのは、弘化(こうか)3年(1846)です。