下山神社(2)・・・・下山神社の起こり

下山神社の起こり
大山寺の名僧(発行:角磐山大山寺 編集:立花書院)の、うしろのほうに書かれています、嗒然「大山雑記」 漢文・現代語訳:大原俊二 によると、おおよそ次のようになります。
下山神社の縁由・・・・・下山神社の狐
下山大明神のもとの姿は、備中の軍司(地方長官)渡辺源五照正(わたなべげんごてるまさ)です。
大山寺の大智明権現を信仰し、毎月必ず一度、大山寺に参詣するようになって数十年がたちます。
南北朝時代元徳二年(1330)大山寺参詣の途中、道をゆずれ、ゆずらぬ、で争いとなり、命を落としてしまいます。
大山寺の坊さんたちは照正の死を悲しみ、下山野の道端に葬りました。これが下山大明神の始まりです。
最初は、下山大明神は道端の塚でしたが、塚の辺りに狐がすみつきました。そのうち、道行く人に乗り移り、怪しい不思議なお告げをしました。「我々(狐)の仲間は一団となって末永く坊さんたちを守る」と。
それを聞いた坊さんたちは相談して祠を建て、海石を一つ置いて御神体として祭り、これを下山善神(しもやまぜんしん)と呼びました。これが、下山神社の前身です。下山神社は、狐との強い関係があったのです。