大山(おおやま)に登る(3)/阿夫利神社下社と大山寺(おおやまでら)

大山は、丹沢大山国定公園の中にあります。
伊勢原市商工会が発行した屏風折のパンフレット「大山 まもりの神、めぐみの森  Oyama」に次のように紹介してありました。
「丹沢連峰の東に位置する、独立峰の大山。                         
美しい稜線を描く標高約1252メートルの
秀麗な大山は、はるか縄文の昔から、霊山として信仰を集め、
別名を「あふり(雨降、阿夫利)やま」といいます。
相模湾から吹きつける海風が大山にぶつかり、
雲となって雨を降らすため、こう呼ばれてきました。
農民には恵みの雨をもたらし、漁民には標となる護りの山。
山頂には紀元前97年創建とされる「大山阿夫利神社」、
中腹には755年開山の古刹「雨降山大山寺」があります。
つまり、大山は神仏習合の、まさに聖域なのです。
江戸時代には、庶民の間で大山参詣が大流行し、                           
浮世絵や落語『大山詣り』でいまに伝えられています。                            
当時が起源の「大山とうふ」や「大山能」は                           
訪れる者を前向きにさせる信仰の世界へと誘います。                         
春は薄墨の桜、初夏は新緑、秋は紅葉に衣替えをする 
大山の深い森に佇み、神々の息吹を感じてみませんか。
  遥か二千年の時を超え、
    古の神々の懐に抱かれる森」

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大山には、山頂に、巨大な自然石「石尊大権現(せきぞんだいごんげん)」(非公開)を御神体とする「阿夫利神社」があり、山の中腹には「雨降山大山寺」があります。ここ大山も神仏習合の山です。

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以下は、「再発見大山道調査報告書 伊勢原市内の大山道と道標 平成23年3月発行 伊勢原市教育委員会」から、興味のあるところを転記させていただきました。

 阿夫利神社の草創は8世紀前半にさかのぼることができる。ちょうどこの頃から、日本固有の神道信仰と異国からもたらされた仏教信仰が融合調和した神仏習合がはじまり、さらに山岳信仰をもととした修験道が盛んになると、山の中腹に不動明王像を本尊とする大山寺が建立されて阿夫利神社を管理する別当寺となって、石尊大権現と一体化した大山信仰が形成されるようになったと考えられる。
・・・・・・中略
 大山寺はその後、878(元慶2)年の大地震とそれに伴う大火により倒壊・焼失したが、884(元慶8)年に安然(あんねん・あんね。最澄の同族で円仁の弟子)によって再興され、天台宗系の僧侶たちの山林修行の場として命脈を保ったようである。
・・・・・・中略
 徳川家康が天下を制すると、1590(天正18)年の小田原征討に際して、大山修験勢力が北条方に与(くみ)して激しく徳川方に敵対したこともあり、1605(慶長10)年、家康は大山の大粛清に着手した。その結果、大山山中から修験勢力を一掃して・・・・中略
宗旨を天台宗から古義真言宗(こぎしんごんしゅう)に転宗させ、
・・・・・中略
 明治初期にまとめられた『開導記』によると、大山講は相模・武蔵国を中心に房総・甲信越・駿遠豆に同心円的に拡大し、総講数1万5700、総檀家数約70万軒に達している。
 しかし、1868(明治元)年3月に明治新政府によって神仏分離令が発令されると、全国的に廃仏毀釈運勤の嵐が吹き荒れる中で、大山寺はその煽りを受けて取り壊されてしまった。その旧跡には新たに阿夫利神社下社が建立されることになったため、大山寺は女坂の途中の現在地に、1885(明治18)年に明王寺として再建され、1915(大正4)年にようやく雨降山大山寺の旧号を回復した。
・・・・・・後略
下の写真は、阿夫利神社下社。神社の左手が、大山登山口。



下の写真は大山寺。阿夫利神社下社から下に下がった所にある。標高は500mです。お寺ですが、しっかりした注連縄があります。

向拝には、立派な龍の彫刻があります。中央は人のような姿が見えますが何でしょうか。




ここ、大山寺は歴史の重みを感じさせます。
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以降は、今までに載せきれなかった写真を載せます。

16丁目を上がった登山道。日本百名山すべて登り、キリマンジャロまで登った人。大山は登山道が急なので、トレーニングにちょうどいいそうです。また、東京マラソンで、数年ボランティアを続けていた人、そして、私のような、団塊の世代の人、いろんな人に出会います。ここ大山で話かけた人は、鳥取の大山は皆が知っていました。
小田原駅前の北条早雲

大山の集落を歩いているとき、家の庭に植えてあったマンサクの花。大型の花ですが、園芸種なのでしょうか。山で見るマンサクは、もっと貧相です。

ミツマタの花。初めて見ました。枝が三つの又になっています。

アイゼンを借りたり、荷物をあづかってもらったり、大山をいろいろ教えてもらったり、お世話になった大山観光案内所。ここは、標高300mです。

ほかに、大山の積雪状態を調べてくれた、伊勢原駅交番のおまわりさん、いろんなパンフレットをそろえてもらった、伊勢原駅観光案内所のスタッフの方、ありがとうございました。
参考資料
1.「大山 まもりの神、めぐみの森  Oyama」の屏風折パンフレット。 発行:伊勢原市商工会 
2.「再発見大山道調査報告書 伊勢原市内の大山道と道標」 平成23年3月発行 発行:伊勢原市教育委員会