世代墓のそばの松の木は300(200)年生きている?
豪円山へ登る道の途中に、大山寺の運営責任者だった大山寺歴代座主の墓があります。世代墓と言って、豪円さんに始まり、宝永7年(1710)まで八代続きました(*1)。豪円さんの墓は豪円山の頂上にあります。残りの七つの墓がそこにあります。
大山寺絵図(2*)には、七つの墓が描かれています。
何度もそこを通っているのですが、六つしか見えないな、七つあったかな、どうだったかなと思っていました。ふと写真を見ていて気が付きました。世代墓のそばの、大きな松の木の後ろ側、見張り地蔵の脇に七つ目の墓がありました。松の木の後ろに隠れるようにあったため、はっきりとした記憶に残っていませんでした。
写真を見ると、六つ目の墓と七つ目の墓の間隔が他よりも広いのです。と言うことは、ここに松の木があってすぐ隣に墓は作れなかった。少し間を取って墓を建てたのだが、長い年月の間に、松の幹の一部が枯れたり折れたりして、今の位置に松の木の主体が移ってきたと考えられないだろうかと思いました。
墓が出来たのが、1710年とすれば、今年で300年です。絵図が描かれた寛政九年(1797)頃だとすれば213年です。
道の反対側にも大きな松があります。これも同時代の松の木ではないだろうかと考えたりします。
(*1)2009−12−16の日記「豪円さん没後の大山寺」に書いています。
(*2)2009−12−20の日記「大山寺絵図(3)・・・・・伯●(刀の下に刀の文字二つ)角磐山大山寺と伯州角磐山大山寺」に書いています。