出雲弥生の森博物館と西谷墳墓群

9月12日、名和歴史研究会9月例会で、出雲市大津町にある、西谷墳墓群・弥生の森博物館に行きました。
 妻木晩田遺跡*1(むきばんだいせき)のガイドをしている方から、すごい四隅突出型墳丘墓(以下、よすみと書きます)があり、博物館の規模も、妻木晩田の比じゃないと聞き、計画しました。折りしも、山陰自動車道は、出雲まで高速道路料金は、試験運用期間中で無料です。弥生の森博物館は、今年(H22)4月にオープンしました。
下の写真は、西谷3号墳。突出部を含めると、約55m×40mの規模です。造られたのは、弥生時代後半、西暦200年頃です。

下の写真中央に三角の、三瓶山*2が見えます。ここからやや離れた所からは、大山が見えるそうですが、ここは大山が見えない位置になるそうです。

下の写真は、西谷3号墳上で、来た道を振り返って見ています。手前が4号墳で、約45m×45m、その先一段高い所が、5号墳。

西谷墳墓群は、墓だけがいくつも設けられ、人が生活していた集落とは別になっている。むきばんだにも、よすみがあるのですが、集落と一緒にあることが、二者の、大きな違いだそうです。博物館の職員の方に説明して頂きました。ありがとうございました。
ここは、出雲の王の墓なのです。
下の写真、5号墳から見た、手前緑の4号墳と、その先、石で覆われた3号墳、その先にやはり石で覆われた2号墳があります。写真奥の山に見えるのが、島根半島。ここと、島根半島の間が、出雲平野です。

*1:妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)は、今年の4月から「むきばんだ史跡公園」に名前が変わりました。妻木晩田遺跡も、ここと同じ時代、弥生時代の後半の遺跡です。
この日記に、妻木晩田について書いています。日記の検索窓に、「むきばんだ」あるいは「妻木晩田」と入力し、「日記」ボタンを押すと、見ることができます。
*2:三瓶山は、標高1126m。今から約3千5百年前に活動を開始、活動が終わったわけではないと言われています。