下山神社(4)・・・・・社殿下は狐の集会所

下山神社(しもやまじんじゃ)の写真をやっと撮りましたので載せます。総桧皮葺の権現造りで、八角造とも呼ばれるそうです。(大神山神社パンフレットより。)複雑な屋根の形が、私は気に入っています。撮影2010年4月5日。

2010年1月5日の日記、「下山神社(3)」に書いていますが一部転記します。・・・・祠を下山善神と呼ぶようになったのは、神様のおかげが現れ始め、一日一日と人々の信仰が盛んになってきたからです。文和二年(1353)狐が人に乗り移り、人の夢の中で言いました。「この下山善神を大智明権現の北に移せ。そうすれば私の本当の姿をみることができる」と。
坊さんたちは相談して、大智明権現の北を掘り起こすと、お告げのとおりに、小さな金製の十一面観音像が出てきました。下山善神の祠を大地明権現の北に移し、観音像をまつるとますます人々の信仰を集めるようになりました。
「大山雑記」には、その後、いろんな武将が難題に遭遇すると白狐が現れて救ってくれる話が載っています。亀井家の庇護を受け下山神社は成長していきます。大山雑記が書かれたのは、弘化(こうか)3年(1846)です。・・・・・
今日の日記。大山雑記の「神使の白狐」の項に次のようにあります。・・・・下山大明神の神の使いには、白狐が多く、社殿の下に棲んでいます。出入りする穴が開いていて、いつもそこに集まっています。夜になると、白狐が大山寺の中門院谷・南光院谷・西明院谷を廻って42院の寺々を護っています。それについては、何も証拠はありませんが、冬になると、毎朝、寺々の周りの雪の上に、狐の足跡が残されているのでわかります。・・・・異変があると狐が鳴いてしらせたり・・・坊さんたちが大山寺を出て山を下る時は、狐が一匹、必ずつき従って坊さんたちを守り・・・・と言うように狐は大山寺を守って来たと伝えています。
そういうところから、下山神社の社の前の狛犬は狐だということが納得できます。大山の話を聞くようになってから、昔、大山寺では、犬が狐を襲うので犬を飼うのを禁止されていたと教えられました。
下の写真は、社殿の下に設けられた狐の出入り口。小さな鳥居が置いてあります。反対側にも出入り口があります。