大山寺の古い絵地図にある西楽院二つの石段入り口はどこ?


この絵地図は明治3年(1870年)に描かれた、雲城(うんじょう)作「大山寺領絵図」の西楽院付近を切り取ったものです。中央は、「本坊西楽院」。江戸時代、大山寺の政務の中心だった所です。この絵図に二つの石段入り口が描かれていますが、いつも見ている二つ目の入り口は西楽院上手側にある小さい石段かと思っていました。実は違っていました。
去年の秋、樹木の葉が落ちて、金門、賽の河原から古い参道を通って大神山神社へ行く途中、西楽院下の銅の鳥居に向かって登りの道が付いているように思えました。昨日、4月5日、その鳥居のところで道を捜してみました。
下の写真は、大神山神社に向かって右側、鳥居の右脚下から、古い参道を見ています。古い参道の少しこちら寄りに、長い切石がいくつか並んでいますが、鳥居の方に向かってはいません。左右方向に並べられています。昔はここにも道があったのではないでしょうか。

見る向きを変えて、鳥居の左脚側、登って行く道がありました。いつも通る時は、草やかん木があり、道があることは知りませんでした。

この道を上って行くと左手に立派な石垣が見えます。下の写真では、高さが半分くらいしか写っていませんが、城の石垣のようにそりが入っています。
下の写真は右手を見ています。写真の奥に、普通西楽院正面から見る石段が見えます。

今歩いている、この道は、古い大山寺絵地図にある西楽院下側の石段に相当すると思います。
先ほど通った道は、側面は石垣でできています。

ここは、草木の無い、今の時期に容易に見ることができます。