三徳山と大山寺の寺領3千石・・・・・なぜ3千石?/豪円地蔵

昨日、今日と天気が悪い日が続きました。15日に三徳山投入堂に参拝したのですが、15日、16日は、雲の窓が開いた二日間でした。三徳山でもらったパンフレット、「三徳山三佛寺」に次のように書いてありました。「・・・・その後、嘉祥(かしょう)2年(849)慈覚大師によって阿弥陀如来大日如来・釈迦如来の三尊が安置されたので、天台宗三徳山三佛寺と称し、堂舎38宇・寺3千軒・寺領1万町歩・3千石を領していました。」大山寺中興の祖豪円さんが、江戸幕府から慶長15年(1610)に大山3千石の朱印状をもらいました。なぜ、三徳山も、大山も3千石なのでしょうか?数字の3千の意味は何だったのだろうかと、疑問がわいてきました。それはさておき、
豪円さんは、次の年、慶長16年(1611)6月5日、76歳で、金山寺でなくなります。豪円さんの遺言により、山の頂上に豪円さんの墓所が作られ、豪円地蔵が祀られています。この山が豪円山です。

写真は、豪円地蔵。撮影2008年9月23日。

豪円地蔵が見ている米子。2008年、大山の歴史遺産を守る会の方によって、豪円地蔵さんの周りがきれいに草刈されました。写真は、木の間からズームで撮っています。