大山に2回目の寒波が来ます
2009年11月16日曇り。11月4日に、遺跡発掘作業テントを片付けて以降久しぶりに作業開始。朝、大山道路佐摩を少し上がった所の温度計は7℃を表示。大山はさらに1、2度低かったのでしょう。使い捨て懐炉を持って出かけたのは正解でした。
途中で見た北壁。うっすら雪化粧。
道端には、一丁地蔵と同じ、大山参りの道しるべとして黒松が植えられています。道路から少し離れると、木材用の、赤松が植林されています。上の写真では、道路に近い大木が黒松で、目の高さ位置につけた白い番号札が写っています。(番号の意味を私は知りません)その左にすらっと伸びたのが赤松です。
黒松が植えられたのは、江戸時代初め、大山中興の祖と言われる「豪円僧正」が、大山への道しるべとして植えました。一丁松と呼ばれています。写真の松は代替わりしていると思います。大山観光道路、米子から尾高を通って大山へ向かう道、(古くは大山道の一つ「尾高道」)の大山近くには、見るからに昔をしのばせる一丁松が残っています。
上の写真。木の葉がほとんど落ちてしまいました。治山道路いつもの場所から大山頂上を見ています。雪化粧と雲で、頂上手前に、岩のとんがりのような、別山(べつざん)がはっきりわかります。ここの左奥が頂上です。
上の写真は、博労座立体駐車場の屋上から見た北壁。