大山寺僧坊跡発掘調査現地説明会は、10月17日(土)です

大山寺僧坊跡発掘調査現地説明会
日時:2009年10月17日(土) 14:00から16:00 
受付:13:30から 山楽荘駐車場にて
移動:歩いて、20から30分かかります。
大山町総合文化祭にも、10月24日に 解説と講演があります。
問い合わせ先:大山町教育委員会 社会教育課 文化財調査班 
       tel 0859−54−5212 
下は、案内状です。        

大山寺僧坊(寺院)跡遺跡発掘調査
 大山寺は、古くは山岳仏教の聖地から、天台宗別格本山大山寺へ成長していきました。
大日如来を信仰の中心とする中門院(ちゅうもんいん)、釈迦如来を信仰の中心とする南光院(なんこういん)、阿弥陀如来を信仰の中心とする西明院(さいみょういん)の3院(3グループ)で構成する寺院集団の上に本尊として地蔵菩薩を祀っています。これら全体の寺院集団を大山寺といいます。
 江戸時代初め、大山寺は、1610年(慶長15)徳川幕府から大山寺領3000石を認められ、本坊西楽院を政務の中心に置き中門院、南光院、西明院の3院はそれぞれ14、合計42の僧坊を持つ寺院集団を構成していました。鳥取藩の絵師、片山楊谷(かたやまようこく)が寛政9年(1797年)に書いた、「伯州角磐山大山寺」絵図に描かれています。
 江戸時代より前の大山寺は、残された資料が無く、160を越す寺院と僧兵3000人をかかえていたと言われています。
 今回、大山町教育委員会では、平成15年から17年にかけて測量調査を行いました。石垣跡などの調査から、次のように説明されています。
    面積      :71ha 東京ドーム 15から16個分
    僧坊跡推定地  :合計 158ヶ所
      内訳
        寂靜山地区・・・・41
        大山東地区・・・・55
       大山西地区・・・・62
今回の発掘調査は、大山寺絵図に描かれていない、寂靜山地区の僧坊跡1区画で、標高約900m地点、広さ約37.5m×29.1m(2009.11.13訂正)の発掘調査を行っています。
下の図は、現地への道順図です。図の平坦な部分が僧坊跡と言われているところで、番号が振ってあります。大山寺寂靜山地区では、1から41まで番号が付けられています。39は、寂靜山です。40の近くに、ビューポイント「お里の松」があります。坂を上って、右に折れる前に20から30m進むと、お里の松、お里地蔵です。ぜひ北壁をのぞいて見てください。
下の図は、大きいかもしれません。クリックして写真だけ表示して、上下、左右のスライダを動かしてみてください。

下の写真は2008年11月10日撮影です。お里の松から見た宝珠山