大神山神社本社(尾高)と大神山神社奥宮(大山)・・・本社から見た大山

鳥取大学地域連携講座「大山地域活性化講座」会場、シャトー・おだかの案内地図を見ると、大神山神社が近くにあります。
大山の大神山神社あたりに、古くは、修験道者が修行する、簡単な遥拝所が設けられました。その後、遥拝所に付設した建物が出来ます。海抜998mの高地は、冬の積雪の時には登ることも、留まって祭りを行うこともきわめて困難で、麓の平地に、冬場をしのぐ神社が建てられました。これを「冬宮」といい、大山のものを「夏宮」と呼びました。当時は、神仏習合の時代で神職と、僧呂が同時に奉仕していました。
平安・鎌倉時代の大山は、大山の「夏宮」に地蔵菩薩を祀り「大智明権現社(だいちみょうごんげんしゃ)」と称し、三院百八十坊(寺)、僧兵三千名の寺院集団になっていました。
その後、明治4年、政府は神仏分離令により、「大智明権現社」から地蔵菩薩を取り除き、大日堂(現在の角磐山大山寺)に移し、大神山神社奥宮と名乗ることになリ、麓にあった「冬宮」は大神山神社本社となりました。現在の場所にある本社は、承応2年(1653)にそれまでの場所を変えて、米子市尾高に遷宮されたものです。

下の写真:大神山神社本社鳥居

下の写真:大神山神社本社

下の写真:大神山神社本社から見た大山。2009年3月28日撮影