どこに出しても恥ずかしくない大山寺の仏像(1)・・・・白鳳期の4体の金銅仏
2009年5月24日、大山町教育委員会主催の「大山寺に伝わる仏像の見学会」がありました。場所は、大山寺霊宝閣。大山寺参道を登って、大山参道ギャラリーを過ぎて50mくらい先の右。山楽荘の道を挟んで向かい側です。
先生は、小山勝之進(元鳥取県立博物館学芸員)さん。大山町では、平成17年大山寺の僧坊調査を行ったが、その仏像を担当された先生です。
結論として、古いものがなかった、鎌倉、平安時代にさかのぼれる仏像はなかった、江戸時代までだったそうです。
江戸時代末、一山三院四十二坊(西楽院を加えて四十三坊と言うこともあります)あった大山寺は、明治8年明治政府の神仏分離令、廃仏毀釈の運動、大山寺廃絶の歴史の中で、仏像ほか寺宝が廃棄売却流出したものと考えられ、新しい発見はなかったそうです。
明治23年大山寺号復活、その後の大山寺が復興されていくことになります。
今回は、すでに霊宝閣に保存展示されている仏像を解説していただきました。
どこに出しても恥ずかしくない仏像3件のうち、その(1)、奈良・白鳳期の金銅仏4体。
霊宝閣展示室に入って、正面の一番奥にあります。一番右側の観音菩薩像(展示紹介には十一面観音像と書いてある)は、下山神社(大神山神社の隣の建物)の地下から掘り出されました。経塚、経筒ではなかったかと言われています。火事で焼かれて衣がなくなっていますが、奈良時代の金銅仏で、大山寺の歴史を語るものだそうです。
その仏像の左側に、3体の仏像があります。写真の左から二つ目は、法隆寺にあった金銅仏48体、今は国に寄付され国立博物館にあるそうですが、それと全く同じ、瓜二つの仏像で、同じ型から作られたのではないかと言われています。
その左側、私はこれが一番好きなのですが、先生が言われるには、過剰な装飾をつけた、中国の宋の時代に作られたものだそうです。これら3体の仏像は、大山寺で作られたのではなく、むこうで作ったものが伝わって来たと言うのが有力だそうです。
霊宝閣は、入館料300円と有料ですが、参道を登りつめたところにある大山寺への参拝志納金300円払うと霊宝閣入館券がついています。
霊宝閣内部の説明は、そんなに丁寧ではないので、一度行ってわかるものではありませんが、覘いて見てはいかがですか。